統合情報理論(IIT)
一言で言えば、情報が統合されることを意識と定義しようという理論です。
統合情報量という数値の大小で意識レベルを表します。
右脳と左脳が分断されているより繋がっていた方が、意識レベルが高いだろうといったものです。
統合情報量には、ある値以上なら意識があるというような閾値はありません。
「情報」と「統合」に明確な定義はありません。
例えば、粒子の位置は「情報」です。
2つの粒子が結合している場合、お互いの位置情報が影響しあって、次の瞬間の位置が決まります。
2つの粒子の位置情報は統合されているといえます。
よって、粒子には統合情報量は正であり意識があります。
真空にはゲージ粒子があり相互作用しているので、真空にも意識があります。
電卓で「1+2=3」という計算をしたときも同様です。
「1」という情報と「2」という情報が統合されたので、電卓には意識があります。
しかし、常識的には電卓に意識はありません。
電卓が意識を持たないように、「情報」や「統合」の定義を変えるべきだという人もいるでしょう。
同様に、AGI/ASIを作っても、機械に意識はないはずだから定義を変えろという人もいるでしょう。
この理論はAGIに意識があるかの判断には使えません。
この理論で定義された意識があるか分かるだけです。
統合情報理論(IIT)とAGIの研究
IITの研究から、AGIに持たせるべきだといえる性質は、一つだけです。
①
より多くの情報が影響可能な方が良い
右脳と左脳が分断されているよりは、繋がっていた方が良いだろうといえます。
複数の記憶装置がネットワークで繋がっていた方が、そうでないより良いでしょう。
実際には複数の記憶装置間のやりとりが不要かもしれませんが、出来るに越したことはありません。
情報のやりとりが多い方が統合情報量は大きくなりますが、大きいほど良いとは限りません。
例えば共感覚の人間は、聴覚と視覚の情報が混合しているため、統合情報量が大きくなります。
しかし、情報が混ざってしまい本当の物体の色が分からなくなってしまうのは、良くはないでしょう。
混ざる前の情報が失われることで、推論に使える情報は減ってしまっています。
もし、人間の統合情報量が単純増加するように状態が推移するのなら、統合情報量はAGIにとって重要な指標です。
そうでなければ、統合情報量は何の指標にもなりません。
そのような値を別途見つけるか、それに合わせて統合情報量の定義を見直すべきです。
そのように定義した値は、意識レベルと相関性はないかもしれません。
脳や意識を解明しようとする研究と、AGIを作成しようという研究は目的が異なります。
脳や意識はあくまで参考にして、本当にAGIが行いたいことを指標にするべきです。
報酬を得るのが目的のAGIなら、統合情報量よりも報酬を最大化するべきです。
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